中央官庁における障がい者雇用水増し事件を問う
開いた口が塞がらないとはこういうことをいうのかと思いますが、中央官庁における障がい者雇用水増し事件(敢えて「事件」と言います)は、まさに約3400人もの障がいのある人の人生を奪う人権侵害事件だと言っても過言ではないと思います。
報道で流れるたびにその数は増え続け、まさかは怒りに変わっていきました。どこまで国民を見下しているのか、本当に許しがたい思いです。その上
「解釈が間違っていた」とか「誤解があった」とか、「理解が足りなかった」とか言い訳に終始するありさまは、この人たちに国のありようを任せていたと思うと身震いがします。
私は、今回の事件で二つの言葉を思い出します。
一つは「凡庸なる悪」ということです。
ユダヤ人虐殺のホロコーストの主導者であるアドルフ・アイヒマンは、裁判の席上「私はただ命令に従っただけである」と弁明を繰り返しました。裁判を傍聴していたハンナ・アーレントは、アイヒマンのすがたに陳腐で害意が見えず無自覚であるが故の「悪」のすがたを見出し、「悪は悪人がつくり出すのではなく、思考停止の凡人がつくる」と述べたと言います。その「悪」のすがたを「凡庸なる悪」と名付けたのです。
中央官庁における水増しは、約40年以上にわたっていたということです。有能なる職員であろう人たちが、障がいのある人たちの人権問題でさえある雇用について周知していないわけはありません。ただ慣例に従って、諾々と踏襲し、あるいは気づいたとしてもまさに忖度し、他人事で済まそうとしてきたのではないでしょうか。
官庁そのものが、「『凡庸なる悪』に飲み込まれてしまっている
と私は思います。糸賀一雄は「目覚めたるものの責任」を問いましたが、中央官庁には、そのような責任は「凡庸なる悪」にかき消されてしまったのでしょうか。
障がいのある人たちにかぎらず一市民として「まどうてくれ!」と叫びたいと思いです。
ただ、「凡庸なる悪」は、私たち自身にも必ず忍び寄ってくるものと思います。それを防ぐには、自覚者の責任を自らに課し、常に振り返ることによって、自らの言葉で語るということを、忘れてはならないと思います。
もう一つは、「うそをつくな」ということです。
中央官庁は「性善説」に立っているということですが、まさしくお上が国民には「うそをつくな」と言えば、国民は「お上はうそはつかないものだ
今回の中央官庁における障がい者雇用水増し事件は、たんに障がいのある人たちだけにとどまらず、すべての国民の人権にかかわる大問題であることをしっかりと認識することが必要だと思います。
広島県安芸高田市ひとは福祉会・寺尾文尚 2018年9月9日
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