19人のあなたへ 2019年7月26日
私は、あなたが利用していた福祉の現場に身を置く者です。それ故、ということもありますが、あの日以来、私の念頭からあなたの問いかけが離れたことはありません。それは悲しい時も、寂しい時も、楽しい時も、うれしい時も、気がつけばあなたがいるように思います。
それほどあなたの無念の死は、私を否応なしに生きることの意味を問うてくるのです。
以前、カープに衣笠選手がいました。彼は球界でも有数の人格者でした。彼の死後、私の友人であり彼の高校時代の友人と話し合う機会がありました。私の友人が言うには、「衣笠選手はカープに入団することによって、人と出逢うことができたんだ」と言っていました。ご存知のように衣笠選手の父親は黒人系の米国人です。少年期までは、そのことに由来し結構いじめにもあっていました。ですから、人は押しのけて生きていくものだと思っていました。そうしなければ自分が押しつぶされることになるからです。高校時代は、遠くから見えるだけで、「衣笠だ」とわかるくらい肩で風を切っていたとも言います。その彼はカープに入団して、初めて自分を支えてくれる人との出逢いを経験したというのです。うぬぼれかけていた衣笠選手と真摯に向き合い、一人の人間として叱りもし、励ましもしてくれたのは、球団の裏方という立場にいる人たちだったようです。その経験から人とは押しのけて通るものではなく、支えてくれている人への感謝こそ自分に必要なことだと思えるようになったのでしょう。
実は、私も衣笠選手と同じような出会いを経験しました。無論、私は軟弱であり、知力も体力もなく、気弱な青年でした。ですから常にマイナス思考に陥り、自分をダメな人間だと思い込んでいました。
その私が、自分も「生きていていいんだ」と思える出逢いは、俗に重症心身障がい児と言われている当時の仲間たちでした。11人いました。もう50年も前のことです。しかし、仲間たちと共にした活動の数々は今でも鮮明に覚えています。
その中でも忘れがたいのは、お母さんから電話をもらったことです。電話口から笑顔が見える様の口調で「今日我が家では赤飯を炊くよ」と言われます。理由を聞くと「喜んでね。みどりがね、靴を脱いだんよ」といわれます。みどりさんは16才でした。おかあさんは、「みどりは世間では重症心身障がい児と言われているかもしれないけどね、みどりはきちんと誰とも比べようのない自分の人生を歩んでいるよ」ということを新米の私に伝えたかったに違いありません。そしてもう一つ「みどりが靴を脱げたのは、突然できるようになったのではなく、職員がみどりの成長を信頼し、根気よく支えてくれているからよ。だからあなた方の職務がいかに大切なことか、よくわかったでしょ」ということを伝えたかったに違いありません。
この出逢いは、私の人生にとっても大きな転換をもたらしました。なんせ、ダメ人間と思っていた私が「生きていていいんだ」と思えるきっかけをくれたのですから。それから以後、私は本当に多くのことを学ぶ機会を、仲間たちと活動を共にすることによって得ることができたのです。
3年前を振り返ると、私はどうしても解せないことがあります。本当にあなたと犯人である植松某との接点がどのような形でなされていたのかということです。少なくとも彼は、支援者としてあなたと向き合っていたのですから。彼にとって、あなたという存在は何だったのでしょうか。
あなたというかけがえのないひとりの人間が見えていたのでしょうか。それとも、十把一からげに、重度障がい者という得体のしれない群れとしてしか映っていなかったのでしょうか。私はまだ津久井やまゆり園での日常がどのように流れていたのか知りえていません。ただ同じような規模の施設で行われていた人権侵害や虐待については、先の袖ケ浦事件から垣間見ることができるように思います。無論軽々しく判断はできないので、できる限り調べていきたいと思います。
「平和の対極は暴力である。一つに戦争、二つに貧困・飢餓、三つに公害その他環境問題、四つにことに人権・政治的自由の抑圧である」(坂本義和)と説いた人がいます。それに倣うと今の社会は全く平和ではありません。平和どころか至るところに暴力が蔓延してきています。ですからあなたを無念の死に追いやった暴力は、あなただけの問題ではなく、社会全体に突き付けられただと思います。
私は、多くの出会いによって私自身かけがえのない人間であることを経験することができました。その私が安心して生きる方法は、社会が平和である以外にないと思っています。
私たちの社会が平和であるためにも、あなたやあなたと共に無念の死を強いられた人たちからの問いかけを考え続けることは、私にとって避けることのできない命題です。
広島県安芸高田市ひとは福祉会・寺尾文尚 2018年8月9日
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