ローマ・イン・ザ・レイン ライナーノーツ
ローマ・インー・ザ・レ イ ン 河野康弘・ライブ くAKETA'S DISKー~DIW AD-19>
サイドA.1.フォー・ビーズ・スマイル (8'12”)
2.ワルツ・フォー・ベイピ-(9'33")
3.ローマ・イン・ザ・レイン(6'35")
サイドB.1.ダンシング・ドールズ (21'16")
2.テーマ;グッド・フライデー・ブルース(O'25")
菅野正洋(ヴァィプ)河野康弘(ピアノ)山田晃路(ベース)藤沢博延(ドラムス)
1984年11月3日府中「バベル2nd」にて収録
★河野康弘リーダー第2作目によせる全国ジャズ指導者達からのメッセージ
河野康弘の第二作が、敬愛すべき《アケタズ・ディスク》から、しかも僕の店《バベル2nd》でのライプレコーディングで出る事になり歓喜歓喜の今日この頃です.レコーディングは昨年の11月3日、文化の日。その日は河野ファンをはじめ、親類縁者、となりのおばさん等々、朝から店の前には人並が出来、それを目当てに物売りは出るわ、乞食は出るわで大騒動.そんな中で昼、夜2回にぎにぎしく、かつ文化的に行われたのでありました.(毎日こなだといいなあー、ネーアケタさん)
河野康弘の曲に「ダンシング・ドールズ」という曲がある。毎日ライプを聴いていると、誰にでもこれはこの人の18番だな と思われるのが必ずあるものだ.河野康弘の場合「ダンシング・ドールズ」がそれだと僕は勝手に決めている。聴き手側にそれ程思わせる位なのだから、本人の中には相当な思い入れがあるだろうし、一つの集大成的存在になっているのでは女かろ うか.美しさ、力強さ、繊網さ、と非常に良く出来ているし、なによりも「ナイープ青年」河野康弘丸出しといった感がして好感がもてる.いつまでも失わないでいてほしい、彼の貴重な財産のーつだと僕はこれまた勝手に決めている.音楽は人そのものものだから。
東京都府中市「バベル2nd」 原田 知司
河野康弘氏の名前を聞いたのは、去年の暮れです。藤沢博延氏に自分の大好きなピアニストがいるので、一度ライプをやってみないかと紹介されたのがきっかけです.河野康弘、藤沢博延、沼上励トリオ、それぞれの力関係の調和がとれていて、エネルギッシュでバワフルなプレイでした。河野康弘氏によると、マッコイ、タイナーを聴き、「これぞ自分の求めていた音だ」と云っていただけあって、彼のプレイは華麗な響き、弾みのある音、力強いタッチでした.又一面バラードも多く、リリカルでメロディアスな響きが聴けて、なかなか巾広く楽しみのあるプレイです。これから先の被目身の音の世界が楽しみです。 宮崎市 「アミーゴ」佐藤幸子
河野君のことについて、イヤー困ったものです.ジャズ屋のパパというものはメジャーと言わずマイナーと言わずロクな 人聞がいない。そうなんです。けなすことは知っていても、ほめることはしないんです。
これが、メジャー誌の評論家と違って、当然、マイナージャズ屋アップタウン店主はケンスのです。
河野君を、少しむちとローソクで責めるのです。
一年ぶりに会ってみると、それはもうコロコロとお太りになり、いやいあや健康的おなりになるし(苦悩の小生を見よ!)
アフターアワーズの某ウドン屋(サヌキ高松にはこれしかない.断じて庄屋の世界では女いぞ!)では、当店ライプはじまって 以来のミュージシヤンー人当リの退職は記録するし、ほんまに困ったものです。でも、このあいだのTorioの演奏会はおもしろかったですね。
つづらの君(大阪アロージャズオーケストラのテナーサックス)もいいなあ、いいなあといってました。
東京のリズムスクションは実にしっかりしてるって、ぼくも東京へ行こうかなって、困ったもんです。
実は河野君はスタンダードを演らしてもおもしろいのです。間のとり方といい、シンコベーションといい、イントロではいつも思慮深い彼なんです。四国に来る時はまたうちで演ろうね、河野君。 香川県高松市 「アップタウン」店主 田中隆
今、意欲的にライプ活動を統けている河野康弘(p)トリオが初めて佐渡のステージに立った。今迄いくつものライプを観 てきた私だが彼なのサウンドはあれから数ヶ月を過ぎた今でも強く私の耳に残って離れようとしない。
彼がステージ立った瞬聞、何やら今迄のライブとは異なった緊密した気配が会場を包みこみ、そのまま河野のピアノ・サウンドに時を忘れ、聴衆も私同様、彼等のリリシズム溢れる息の合ったプレイに陶酔していたようだ。個人的に言うと、全体にサウンドは時に雄々しく、時に優しく唄われ、河野の卓越したテクニックは三身一体の中に在っても独創的なベースラインや、左右の手で魔法の如く交互に打ち出されるメロディー・ラインなどから、ピアノサウンドはもう楽器の音ではむく、私が住む佐渡に打ち寄せる冬の波が岩礁に砕ける音に聴こえる思いがした。河野さん、夏の佐渡でのプレイを楽しみにしています.― 一
新潟県佐渡市 「アゲーン」 土屋克己
河野君との出会いは、ファースト・アルバム(Peace,Aketas'Disk AD14)が出て間もない頃であった。国立市在住のサッグス奏者・宮野裕司氏にライブでの折、飛び入りで2曲演った。曲を重ねる毎にシャープになる演奏、否が応にも熱くなる空気・・・・ジャズライブそのものの夜が最高に盛り上った時、猛然と割り込んだ彼のピアノは、70年代中盤以降模索するジャズ・シーンの「今」をアイデンティティの名の下にあくまでも河野康弘であったと記憶する。気が付くと眼と耳はピアノに釘付けにされていた。別れ際に手渡されたファースト・アルバムは、以後当店の愛聴盤として時を刻んでいる。間もなくして、ソロ、トリオ、時に本多俊之君を加えたカルテットと、当店にライブに一家を挙げて(真美夫人はボーカリスト)登
場順うことになったが、演奏後グラスを傾けながら語り合ったところによれば、彼は奈良、私は東京と、距離を隔てて、奇しく
も私的一世風靡はともにまさしくマツコイ・タイナー!彼の持つ懐しいまでの非エレクトロニクス的力感はマッコイに出会っ
た青春の日々そのものにある、と私は感じる。そして、バラードや夫人の歌に添えるピアニシモは、夫として父親(愛娘さやかちゃん)としての眼差しそのものである。時代の中で、ジャズの風向きは今、アゲインストである。しかし、彼の音楽 は常に正のベクトルのリアルジャズだ。熱き想いを託してーー待望のセカンド・アルバム。
東京都国分寺 「ラプソディー」岩井きよし
★メンバー、プロフィール
河野 康弘(Piano)
昭和28年11月13日生れ.奈良県生駒市出身.大阪芸大中退,高校卒業後ピアノを始める.'75年・矢沢永吉 バンドのキーボードとしてプロ入り.その後中村雅俊・芹洋子等々タレントのバックを勤める側ら、自己のトリオ結 成.向井滋春(tb)・杉本喜代志(c)等をゲストに迎え、都内ライプハウスを中心に活動を始める.'79年、初山博(vib) 5・佐藤春樹(tb)5に参加.'81年、来日したジャズボーカル、アン・リチャーズのバックを動める.'83年9月、初リ ーダーアルバム「Peace」をリリース.'84年4月アルト奏者、本多俊之をゲストにコンサートを開く,
菅野 正洋(Vib).
昭和22年5月18日生れ.東京出身.立教大学卒業。在学中に軽音楽都に所属しヴィブラフォンを始める.'82年より河 野康弘3に参加.現在静岡県に在住.毎月東京「アケタの店」・府中「バペル2nd」でのライプの為に上京.河野康弘 3と共にライプ活動を競けている.
山田 晃路(Bass)
昭和28年5月30日生れ.石川県金沢市出身.早稲田大学卒業。在学中にモダン・ジャズ研究会に所属し、ベースを 、始める。卒業後プロ入り、鈴木勲ソウルフアミリー・徳山陽3等を経て、'82年、河野康弘3に参加。以後、松本英彦 4他で演奏.
レコード 河野康弘 「P eace」
藤沢 博延(Drums)
昭和25年3月15日生れ.山口県柳井市出身.19才で上京.20才でプロ入り.初山博(vib)4でピットインティルーム 1 ,に初出演.今田勝3・板橋文夫3を経て、'79年、河野康弘3に参加.以後、中村誠一G・寒川敏彦(org ) 4等で演奏。
レコード 今 田勝 「スタンダード」 マル・ウォルドロン「I npetrospectj
寒川敏彦 「ホーボーズプルース」 河野 康弘「Peace」